読まれることのない手紙 エッセイ 中年の独想

 10年勤めた会社を辞め転職して20年務めた会社を今年辞めた。30年勤めて新たな仕事を始めようとしているが、本当にこの道は正しいのだろうか。半年経ってまだ研修の身。稼げるようになるのは来年の春ごろからになるだろうが、それほど収入も期待できない。

 妻より、家事で出来ていないことをあれやこれや指摘されたり、私の発言が間違えていると間髪入れずに指摘したり。これをずっと受け続けていると、あれ、私駄目な人間になっているな、とつくづく思う。発言も慎重にならざるを得ない。

 社会に役立つどころか、家庭の役にも立っていない。そんな自分が新たな仕事に踏み切ってよかったのか。前の会社で、左遷、パワハラ気味な対応を我慢すればよかったか。そもそも自分を過信しすぎて、本来の実力から左遷やパワハラならぬ注意を受けていただけではなかろうか。でもまあやり直しは効かないので前に進むしかない。

 退職金を整理しては、何歳まで生きるつもり?、レコードは死んだときどうするの?と私の死で面倒を起こすなとも言われ続け、どうやったら迷惑かけずに死ぬことができるのだろうかとも考える。もっと生きることを中心に考えたいが、死んだとき、死んだときと言われるとどうしてもそっちが頭をよぎる。自分の母親にも資産整理を迫っているようだから、まあそういう考えも世の中にはあるか。

 家の中がきれいに整頓、掃除も行き届いている、という状態は、実は人間味を感じられず、生活感もなく息苦しさを覚えてならない。物を持たないのは良いことなのかもしれないし、死んだときに残された人はそれを処分する手間がかかる。でも生きている間に、心安らかに生活したい、と思う時に物がある方が安らかに感じる人もいるはず。私はその一人。

 来年春まで無職同然だから、偉そうなことは言えないので、日々黙々と呼吸して過ごすしかない。唯一の救いは音楽と読書。お、唯一ではないな。唯二か。

 なんだか暗いことを書いてしまったが、書かないと晴れそうにないし、書くと少しでも晴れそうなそんな気分。今日も心が晴れる日が来るのをじっと待ちながら人生冬眠中。