随分時間が経ってしまったが、7月に広島城に行った後、仕事で知り合った友人二人に合うまでの時間古墳群を巡りました。



まずは、方違神社。珍しい名前。田出井山古墳の縁にある。小さいながらも整備された神社で祈祷も受け付けている。神社から見た古墳。いやあこれでも大きいな。



反正天皇陵とある。神皇正統記から仁徳天皇より二代後。第三の息子らしい。


仁徳天皇陵まできた。これは凄い。大きいなんてもんじゃないな。と、古墳よりも歩くことがまずは目的なので、周りを散策。



永山古墳。天皇の名は無いが仁徳天皇陵からは独立しているとのこと。前方後円墳だから身分が高い人であろう。



丸保山古墳。仁徳天皇陵と向きがあっていることから関係する古墳とのこと



仁徳天皇陵の周りを歩き始める。厳重な管理でところどころ調査用なのか入口らしきものが見える。


まだ少し歩き始めたところだが確かに大きい。



銅亀山古墳。方墳で仁徳天皇陵との関係があるらしい。



大仙公園の中の狐山古墳を見ながら仁徳天皇陵の正面へ


よく見たら奥にも水が。そうか、二重構造だった。それが見えたのか。不謹慎だが入ってみたい気も・・・



神皇正統記にも87年治世して110歳で崩御とある。信じがたいところでもあるが長生きはしたのだろう。



また大仙公園の古墳。孫大夫山古墳。



七観音古墳。大仙公園の端、上石津ミサンザイ古墳の近くにある。



寺山南山古墳。方墳である。



日本第三の前方後円墳。履中天皇陵。神皇正統記から仁徳天皇と反正天皇の間の天皇とのこと。治世は反正天皇と同じく6年。



正面に回り、次なる目的地、いたすけ古墳へ



いたすけ古墳。5世紀前半とあるから仁徳天皇陵より前?。鷺が見張っていた。



なかなか大きな規模である。仁徳天皇の前だと応神天皇?いやいや、場所が違う。誰の古墳だろか?



善ヱ衛門山古墳。さて次は御廟山古墳へ



御廟山古墳。ここも大きい。鳥居は永尾大神とある。



この古墳も誰のものかは書かれていなかった



周りを歩くと石垣らしきものも見える。さて百舌鳥八幡宮へ向かってみよう。



なかなか立派神社である。



応神天皇の他、仲哀天皇、神功皇后を配祀。応神天皇の両親 (これも神皇正統記より)。



水神社を見て最後の目的地、ニサンザイ古墳へ



ここも大きい。墳丘が300m。栃木の古墳より倍以上ある。さすが中央?



ここを一周して、なかもず駅から新大阪駅へ。長い一日だった。と、この後友人と会うんだったっけ。その前にホテルでまずはシャワー浴びよう。

次に日は大阪城にもいった。この二日間で行った神社、三つの御朱印