大分 岡城

中津城、杵築城とめぐった次の日(5/13)、今度は岡城である。滝廉太郎の荒城の月の城。

朝、別府駅発の九州横断鉄道で出発

平日なので客はまばら。お、線路が見える席だ。線路は続くよどこまでも。

大分駅。どの線路を行くのだろう。右側の折れていくのは、明日行く予定の由布院、豊後森方面。ちょっと進むと真ん中の写真。右に折れていく。そしてあとはローカルな感じへ

豊後竹田駅。駅を出るとまっすぐ進む。やがて岡城の矢印看板が見えてくるのでその通り進む。

それなりに歩くが(20分くらいでしょうか)、やがて岡城こちらと出て、そこを進んでいくとほどなく城の入り口へ。途中から石垣が見えてくる。

登る手前に料金所があって、そこで御城印、スタンプゲットしていざ城へ

城への道はそれほど険しい登りではない。にもかかわらず上から見たら恐ろしい風景だった。一歩外したら命が無い。

大手門。なんだか立派な石垣である。そびえたつ、という感じですね

まずは本丸の方へ

屋敷跡。石垣がちらほらと。どこもかしこも石垣

結構遠くまである。凄い規模。この屋敷跡は中川但見屋敷跡かな。井戸らしきものも

さらに進むと西中仕切跡、太鼓櫓跡

来た道を振り返るとこんな感じ。左手、三の丸を進む

この先は崖。木々でちょっと読みづらいが仕方ない。三の丸

二の丸へ。ここにも井戸。山城は井戸が大事

二の丸へ。ここには滝廉太郎像が。ちょうど阿蘇山バックにいい写真ではなかろうか?へたっぴな写真なので、いい景色、と言葉を追加しておきます。

さて本丸へ。ここには神社がある。見晴らしがよい。良すぎる。何せ四方八方崖。近寄りたくない・・

神社では御朱印をゲット。スケルトンの。紙でいいような気もするのだが

崖をちょっと。ビビりなので接近はこのくらいまで

本丸をあとにして、奥の下原門跡の方へ

東中仕切り跡、かな。そして振り返ると本丸の石垣。高い。落ちたらやはりただで済まない・・・・。

さらに奥へ奥へ

途中左側には、東の郭や御廟跡がある

さらに奥へ。御廟跡を後にして

下原門跡。ここも凄い石垣だ

ちなみに下原門跡を先にも行けそうだが、一般道?そしたら無料で入れるのだろうか?なんて確かめたいが引き返す

今度は西中仕切跡を右の方へ折れていく

さらに進み、先ほど遠くに見えた中川覚左衛門屋敷跡へ

屋敷跡到着、遠くに本丸。お殿様の様子を遠くから見守っていたのだろう。となんだろこの穴は

通路になっていた。隠し通路?水路?さておき屋敷跡。跡の上には登れないので外観のみ。ちょっと残念

屋敷跡をぐるっと回る

奥になんだか石垣。今度は近戸門跡。この先には七曲りとある山道があるが、閉鎖されていた。

門跡の先の通行止め。遠くに阿蘇山。さて今度は、中川民部屋敷跡から西の丸方面へ

屋敷跡。ここにも石垣。右側の奥を行くと西の丸へ抜けられる

屋敷跡を一通り見たら、西の丸へ。途中また井戸の跡

オーここも見晴らしがいいなあ。西の丸のところはなんだかピラミッドみたい

西の丸を出るともと来た道へ戻る。さて岡城はこの辺にして滝廉太郎記念館へ。どうせならと武家屋敷を通る。名水を横目にみつつ

名水を横目にみつつまずは廉太郎トンネルへ。入ると荒城の月が流れてきた。

廉太郎記念館。規模は小さいもののなかなかいい記念館。楽譜も展示

ヴァイオリンも

洞窟の馬小屋。離れにも展示が。一番右の写真は結構いろいろなところで背景に使われている

廉太郎がいたという二階。岡城が見えると。おお、確かに。西の丸あたりか

さて引き返す。入り口にはメンデルスゾーンというバラ

いやあ、豊後竹田。また来てもいいな。ちなみに滝廉太郎記念館で、荒城の月を聴いていたのだが何か違和感が・・・。と、はなのえん、の最期から二つ目の音が覚えていたのと半音違う。そうか覚えていたのが山田耕筰が編曲したものだったのか、と初めて分かった。確かに自宅に帰った後、荒城の月を入れていたマレシャルのSPレコードを見ると山田耕筰の編曲と合った。さて、ここ丁度昼くらい。のんびりすることもできるが、そもそも歩くのが目的だから、佐伯城まで行ってしまおう!