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待つ
不登校の子供に、助言をあれこれ出すのはどうなのだろうか。一人はいてもいいが複数いてしまっては、助言の選択もしようがないのではないだろうか。それほど余裕はないのだから。助言は、それをする人の自己満足になっていないだろうか?言っている人自身の不安解消になっていないだろうか?それよりも、そっとそばに居続けて待つ。自ら動き出す、自ら発見して動き出すまで見守ることも大事ではないだろうか。でもこれは辛いことでもある。身が引き裂かれる思いもある。子供が苦しんでいるときに何もできていない自分のように思えてくるから。それでも、きっかけは作っても線路はつくるべきではないだろう。子供には無限の可能性があるのだから。だから辛抱強く待ってみよう。